2017年2月:新しい旅に向かって!
親愛なる兄弟姉妹の皆さん。ドミニコ会800周年記念を祝うすべての行事は、1月21日の閉幕ミサをもって喜びのうちに終えることが出来ました。思いを一つにしてお祝いいただいた皆さんに感謝いたします。
この1年、「いつくしみの特別聖年」と共に歩むことができたことに大きな意義がありました。神の愛といつくしみの光に照らされ、広い世界のいたるところでドミニコ会の命とカリスマを祝う幾多の祝賀が開かれたことでしょう。明日に向かって歩むために、恵みと喜びにあふれる祝賀でした。
私たちは、800年にわたり築かれた歴史と伝統を深く思い起こし、祈ることによって、同じ精神でたくましく生きた先人に導かれ、さらに力強い絆で多くの人々を結び合わせてくれました。これこそまさに、神のいつくしみのたまものです。
『福音を宣べ伝える』使命を背負って、広く世界に派遣されたドミニコ会士の中から、多くの有名な聖人が輩出されています。私たちには4人の法王、たくさん選ばれた枢機卿・司教がいます。何百人もの神聖な殉教者、神学者、哲学者、そして大勢の宣教師が800年の歴史をこつこつと刻み、輝かしい伝統を築き、賛美されて来ました。
こうした歴史を振り返り深めることは常に重要で、私たちに新たな生き方を教へ示してくれました。それは私たちのアイデンティティを確実に知ることで周りからの信頼を得られるように、私たちの前を歩いた先人の英知と尊い経験に学び、ドミニコ会の聖人を良いモデルとして生きること。それを未来に証してゆかねばなりません。
この1年がシンプルな運動以上のものであったならば、800年の素晴らしい歴史と伝統の上に立って、明日のドミニコ会を、新しい自分自身をよみがえらせ、奮い立たせるチャンスであったと確信しています。
将来に向かって私たち自身のアイデンティティ、聖ドミニコの道を歩み続ける決意を新たにした今、すべてのドミニコ会の聖者と固い絆で結ばれ、その道すがら力強い手助けとなることでしょう。
日々、ドミニコ会・カリスマの種を蒔く〝畑〟を耕し続けること。導かれて、より幸せな者の1人として今を大切に生きること。そして常に新しい社会と共に歩む教会として、より忠実に私たちの任務を遂行することです。
この1年、「いつくしみの特別聖年」と共に歩むことができたことに大きな意義がありました。神の愛といつくしみの光に照らされ、広い世界のいたるところでドミニコ会の命とカリスマを祝う幾多の祝賀が開かれたことでしょう。明日に向かって歩むために、恵みと喜びにあふれる祝賀でした。
私たちは、800年にわたり築かれた歴史と伝統を深く思い起こし、祈ることによって、同じ精神でたくましく生きた先人に導かれ、さらに力強い絆で多くの人々を結び合わせてくれました。これこそまさに、神のいつくしみのたまものです。
『福音を宣べ伝える』使命を背負って、広く世界に派遣されたドミニコ会士の中から、多くの有名な聖人が輩出されています。私たちには4人の法王、たくさん選ばれた枢機卿・司教がいます。何百人もの神聖な殉教者、神学者、哲学者、そして大勢の宣教師が800年の歴史をこつこつと刻み、輝かしい伝統を築き、賛美されて来ました。
こうした歴史を振り返り深めることは常に重要で、私たちに新たな生き方を教へ示してくれました。それは私たちのアイデンティティを確実に知ることで周りからの信頼を得られるように、私たちの前を歩いた先人の英知と尊い経験に学び、ドミニコ会の聖人を良いモデルとして生きること。それを未来に証してゆかねばなりません。
この1年がシンプルな運動以上のものであったならば、800年の素晴らしい歴史と伝統の上に立って、明日のドミニコ会を、新しい自分自身をよみがえらせ、奮い立たせるチャンスであったと確信しています。
将来に向かって私たち自身のアイデンティティ、聖ドミニコの道を歩み続ける決意を新たにした今、すべてのドミニコ会の聖者と固い絆で結ばれ、その道すがら力強い手助けとなることでしょう。
日々、ドミニコ会・カリスマの種を蒔く〝畑〟を耕し続けること。導かれて、より幸せな者の1人として今を大切に生きること。そして常に新しい社会と共に歩む教会として、より忠実に私たちの任務を遂行することです。
さて、これから何を?
さて、兄弟姉妹の皆さん、私たちの旅はエンドレスです。さあ、今日からまた、新しい旅に出かけましょう。
ドミニコ会の長い歴史と伝統を誇りに、私たちが賛美するドミニコの旅『賛美し、祝福し、福音を説教する』・・・長い旅路へ、共に元気よく出発しましょう。
神を賛美して、神と神の民を神聖にして、地の果てまで福音を宣べ伝えて行くのです。
マリアノ・ゴンザレス・マルチン
2017年5月:皆さんと共に
「主の言葉がわたしに臨んだ『わたしはあなたを母の胎内に造る前から あなたを知っていた。母の胎から生まれる前に わたしはあなたを聖別し諸国民の預言者として立てた。』
わたしは言った。『ああ、わが主なる神よ、わたしは語る言葉を知りません。わたしは若者にすぎませんから。』
しかし、主はわたしに言われた。『若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ遣わそうとも、行ってわたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて必ず救い出す』と主は言われた。」(エレミヤの預言1章4〜8節)
この度、中予ブロックモデラトールとなり、松山教会も担当することになりました川上栄治です。わたしは2010年から松山教会に住みながら、道後教会を担当してきました。わたしは昭和50年生まれで現在41歳です。社会では中堅とされる年齢ですが、司祭の世界では「若手」と言われる年代です。
そのわたしが松山教会というドミニコ会の先輩方が築き上げてきた教会を担当することになりました。今回の人事異動の話を受けた時、わたしの頭にはこのエレミヤの預言の箇所が即座に思い浮かんできました。道後教会では信徒の皆さんの助けによって教会の担当司祭としての務めを果たしてきましたが、同じことが松山教会でできるか不安が先立ちます。
しかし、エレミヤの預言で神がエレミヤに「わたしがあなたと共にいる」と言われたように、わたしは神の導きを信じて、中予ブロックモデラトールとして、松山教会の担当司祭としてできる限りのことをしていく決意です。
わたしがこの『みこころ』に初めて文章を記すにあたり、わたしはみなさんに「教会とは何のための場所であるか」を改めて考えていただきたいと思います。教会は言うまでもなく「ミサ」を中心とします。ミサとはイエス・キリストの死と復活によって罪と死が打ち砕かれたというこの世界で唯一無二の出来事を記念する教会の根幹となる秘跡です。けれども、その秘跡を受けるわたしたち一人ひとりは様々な悩み・苦しみ・弱さを抱える弱い存在です。第二バチカン公会議の教会憲章に次の言葉があります。
「自分の懐に罪人を抱いている教会は聖であると同時に常に清められるべきであり、悔い改めと刷新との努力を絶えず続けるのである」(『教会憲章』第8項)。わたしたちはこの言葉をしっかりこころに留める必要があります。わたしたちは絶えず神との関係を見つめながら、自らの弱さを認め、神に赦しを願い続けていく道のりを歩んでいくのです。この道のりを歩むために「教会」があるのです。
わたしは一人一人と教会の信徒全体の悔い改めと刷新の道のりを導く担当司祭としてこれから皆さんと共に歩んでいきます。皆さんの信仰の道のりを歩むために秘跡を授け、聖書の言葉の意味を解き明かすためにできる限りの努力をする所存です。これからどうぞよろしくお願いいたします。
川上栄治