松山教会の歴史

[パリ外国宣教会時代]
1885年
最初の邦人司祭・ペトロ深堀達右衛門神父が広島から巡回宣教のため来松、数名が受洗。
1887年
第3代エンリケ・ダリトン神父が在住するが、協力者に恵まれず、1年余りで松山を去る。
その後1時期、宇和島教会の巡回教会となる。
1892年
第5代アントニオ・レイ神父が赴任し、病人や貧しい人たちの救済に尽力。
同96年に78人、翌97年に50人が受洗した。
1902年
第7代イシドロ・アルフォンソ・シャロン神父が主任司祭として赴任。
久保町(現永代町)に教会の敷地を購入した。

[ドミニコ会宣教時代]
1904年
四国地域は大阪教区から独立して四国知牧区となり、
四国における宣教はドミニコ修道会(ロザリオ管区)に委譲された。
1911年
第9代シモン・アンドレス神父が赴任。現在地の土地と家屋を購入。
1921年
第11代クラウディオ・ニエト神父が赴任。
スペインの後援者から基金が寄せられ、レンガ造りの聖堂と司祭館などが完成。
1945年
7月の松山空襲により教会など全焼。4年後に復興した。
1960年
この年代から第二バチカン公会議の実りを受け、教会刷新の諸活動が始まる。
1968年には信徒使徒職協議会が発足。
1975年
第16代ビセンテ・ゴンザレス神父のとき、現聖堂と司祭館が完成、
献堂式を行った。1987年にカトリックセンター完成。
1995年
教会聖堂の後付工事として、身体障碍者トイレ、エレベーターを設置。
2001年
第20代サトルニノ・ゴンザレス神父のとき、芸予地震で聖堂が被害を受け、天井など改修。
2002年
5月に北条教会(26世帯・47人)と合併。
2008年
第21代ルイス・グティエレス神父のとき、宣教司牧評議会が発足。
高松教区はブロック単位の協力宣教司牧態勢が敷かれた。
2017年
第22代川上栄治神父のとき、聖霊降臨の主日に郡中教会(52世帯58人)と合併。
天使幼稚園内に「郡中礼拝堂」を置く。
2020年
第23代アントニオ・李神父が赴任。
2021年
第24代川上栄治神父が着任。
2023年
第25代ピーター・ジャ・レ神父が着任。

更新日:

Copyright© カトリック松山教会 , 2024 AllRights Reserved.